型番:Maple Records - LP 6001, Future Days Recordings - FDR 630
カラー盤(Yellow w/ Black Splatter [Psychedelic Soul Splatter])、ゲートフォールド仕様
リー・モーゼスは大いなる才能の持ち主であり、もし彼に相応しい大ヒット・アルバムがあったとしたら、本作がそれにあたるだろう。独学のマルチ・インストゥルメンタリストであったモーゼスは、"南部のモータウン"と呼ばれるアトランタのクラブでその才能を開花させ、同世代のGladys Knight (Pips のメンバーとして彼を欲しがっていたが、引き止めることができなかったと伝えられている)と共に頻繁にパフォーマンスを行なった。
しかし、モーゼスがソロで名声を得ようと最も努力したのは、60年代のニューヨークだった。モーゼスはそこでセッション・プレイヤーとして活動を始め、有名になる前のジミ・ヘンドリックスとも頻繁に共演したが、プロデューサーでアトランタ出身のJohnny Brantley との親密な関係により、最終的には1967年に一連のリリースでブレイクを果たすことになった--特にジョー・サイモンの「My Adorable One」、フォー・トップスの「Reach Out, I'll Be There」、ザ・ビートルズの「Day Tripper」のカヴァーが有名だ。
ステージの前面に立つというモーゼスの夢が実現したのは1971年のことで、Maple Records からBrantley のプロデュースによるLP「Time And Place」をリリースした。オハイオ・プレイヤーズのメンバーやモーゼス自身のバック・グループ、デシプルズを含むバンドと録音されたこのLPは、スクラッチのようなギター・リフ、喉をかき鳴らすヴォーカル、そしてファンク、ソウル、R&BがミックスされたこのLPを貫く刺激的なムードによって、モーゼス自身のスター性が光った。
LPは売れず、モーゼスの夢はすぐに崩れ去った。モーゼスの人生についての詳細は不明だが、数え切れないほどのレコードに参加したことでBrantley に信用と報酬の両面で裏切られたと感じ、音楽業界に嫌気がさしてニューヨークを離れたと考えられている。アトランタに戻ったモーゼスはクラブでの演奏に戻り、2度結婚したが、うつ病と薬物依存に陥った。そして1997年、56歳でこの世を去った。
「Time And Place」はすぐにコレクター垂涎の的となり、そのカルト的な人気は年月を経ても衰えることを知らない。Sarah Sweeney による新しいライナーノーツには、モーゼスの妹と最も親しい協力者であったシンガー兼ギタリスト、Hermon Hitson のインタビューが含まれている。彼らを通して、モーゼスの謎は少し、しかしほんの少し解けた。
A1. Time And Place
A2. Got That Will
A3. What You Don't Want Me To Be
A4. California Dreaming
A5. Every Boy And Girl
B1. Hey Joe
B2. Free At Last
B3. Would You Give Up Everything
B4. Adorable One